「真宗聖典30頁」 このゆえに無量寿仏(阿弥陀仏)を無量光仏・無辺光仏・無碍光仏・無対光仏・焔王光仏・清浄光仏・歓喜光仏・智慧光仏・ 不断光仏・難思光仏・無称光仏・超日月光仏と号す。 ①は拙寺境 … (『浄土真宗聖典 ―註釈版―』(「教行信証」)教巻一三五頁) 真実の教え『大経』 ―救われ難き衆生を救う教え― 親鸞聖人は真実の教えについて「それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり」とおっしゃっています。親鸞聖人は、『大経』が真実の教えとおっしゃっている� ・本願力に出遇ったその時に、私たちの人生には、浄土へと続く人生という確かな方向性と尊い意味が与えられます。 ・私たちがいかなる境遇や状況になろうとも、本願のはたらきは揺らぐことがありません。この確かな拠り処をいただいていることが、人生のさまざまな苦悩を受けとめなが�
その文を親鸞は、『教行信証(行巻)』(『真宗聖典』一七六頁)に引く。 (3) 【御釈】 経(仏や聖者の教説)、論(経文の深い意味を詳述したもの)の解釈。 (4) 【無上涅槃】 『親鸞仏教センター通信』第26号「試訳をめぐって」参照。
両かかとをそろえてつけ、両足先は約30度に開いて立つ。 ... 無量寿経作法における行道中の調声に際しての作法は「声明と役配声明作法」の頁を、また観無量寿経作法・阿弥陀経作法については『勤式集』の記述を参照されたい。 讃阿弥陀仏偈 (七祖) 出典: 浄土真宗聖典『ウィキアーカイブ(WikiArc)』 ショートカット WD:Sag. 聖典29頁の3行目からは阿弥陀の浄土はどんな世界かということが書かれていますね。文字通り浄土の姿が詳しく述べられることになります。次の頁からは仏のおすがた、どういう仏になられたのかという仏のお徳が詳しく述べられることになります。 まして十方世界のあらゆる迷いの衆生も、阿弥陀仏の仰せにしたがって、南無(信)阿弥陀仏(行)を受けいれ、本願を信じ、その名を称える身になるならば、阿弥陀仏は必ず大悲の光明のなかに摂め取って、決して見捨てたまうことはありません。 PageNo. inmon. (『浄土真宗聖典 三帖和讃 現代語版』177頁) 「救世観音大菩薩」とは、観世音菩薩のことで、阿弥陀仏の慈悲のはたらきを助ける菩薩とされ、世の人々の苦を救うのでこの名があります。 「浄土和讃」註釈版五七三頁 阿弥陀さまはあらゆる人を平等に見てゆかれます。まるでどの人も一人子のように慈しんでくださるから一子地といいます。 どの人も我が一人子として見てゆけるのが仏さまの … 阿弥陀仏の浄土に往生しようとすることは、 お念仏一行を往生浄土の「正行」と定めて くださった、阿弥陀仏のおこころを正しく 受け取ったとはいえません。 それは阿弥陀仏の仰せに順わず、自分勝手な 理解によって行じているに他なりません。 阿弥陀仏の光明は、あらゆる迷いから離れたものであるが、凡夫にはとてもそのありさまは説明できないので、阿弥陀仏を「無称光仏」ともお呼びする。悩みの多い凡夫を救うために、阿弥陀仏ご自身も、その光明によって仏に成られたので、すべての仏がこの光明の徳をほめておられると、述 阿弥陀仏とは何者か、浄土とはどこにあるのか、等々といたずらに穿鑿せず、ただ好きで念仏している。 ... 仏教が、あらゆる衆生を救済するための、宗教である限り。 ... 『原典校註 真宗聖典』(法蔵館1975 234頁)『大正新脩大蔵経』第83巻(607頁b)参照。